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富山地方裁判所 平成5年(ワ)58号 判決 1994年10月06日

主文

一  被告は、原告に対し、金四六七四万六〇〇〇円及びこれに対する平成四年五月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

理由

一  当事者及び本件契約の締結

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  本件事故の発生と亡隆成の死亡

1(一)  請求原因2(一)、(二)の事実は当事者間に争いがない。

(二)  右争いのない事実に、《証拠略》を総合すれば、本件事故の経過は次のとおりであると認められる。

本件事故当日、莵原とインストラクターの長谷川高史がプール外で仕事をしていたが、莵原は、午後三時二、三分ころ、水質検査のためプールの水を汲みに来て、亡隆成が本件プールのプールサイド寄りで、スタート台に近い場所の水底にうつぶせの状態になつて水没しているのを発見した。莵原は直ちに走つて右長谷川に連絡し応援を求めて、二人で亡隆成をプールから引き揚げて救助し、インストラクターの山谷茂が救急車の出動を求める電話をし、その後人工呼吸等の蘇生措置を行つた。その時、亡隆成は呼吸も脈拍も停止していた。救急車は、午後三時一二分に本件クラブに到着し、同二五分に富山市民病院に到着した。救急車内で気道確保、人工呼吸及び心臓マッサージの応急措置が採られたが、意識は全くなく、呼吸停止、脈拍触れず、瞳孔拡散の状態であつた。そして、富山市民病院に搬送されたが、既に心肺は停止しており、蘇生のための応急手当を受けたものの、同日午後四時一〇分ころ死亡した。

2  亡隆成の死亡原因

(一)  右1の当事者に争いのない事実に、《証拠略》を総合すれば、亡隆成は、死亡当時二九歳の男子で、子供のころから健康であり、平成四年二月の済生会富山病院での定期健康診断でも、血圧は八〇ないし一三〇と正常で、胸部X線や心電図その他では異常がない旨の検査結果が出ていること、日頃から同居している父の原告の身体の異常を訴えていなかつたこと、亡隆成が本件事故直後に発見された際、亡隆成は本件プールに水没していたこと、救急搬入先の富山市民病院において医師黒阪慶幸が亡隆成の診断・治療に当たつた際、亡隆成の肺から二、三リットルほどの水が出てきたこと、これに基づき、同医師は亡隆成の死因を「溺水死」と診断していること、他に死因となるような疾病等が存在したことを窺わせる事情は見当たらないこと、以上の各事実が認められ、この事実関係に照らせば、亡隆成の死亡原因は水を大量に誤飲・誤吸引したことによる溺水死であると認めるのが相当である。

(二)  《証拠略》中には、亡隆成の死亡原因は重篤且つ急激に発症した心臓又は脳の疾患によるものである旨の部分があるけれども、(一)に認定した事実関係及び掲記した各証拠に対比して、右書証記載及び供述部分は採用しがたく、他に右(一)の認定を覆すに足りる証拠はない。

三  被告の責任

1  予見可能性

(一)  《証拠略》を総合すれば、次のとおり認定判断される。

(1) 水泳は、その場所がプールであると否とを問わず、また、水泳者が大人か子供か、健常者であるか否かを問わず、身体の大半を体温より温度の低い状態かつ水中に置いて、高い抵抗を受けつつ身体的運動を行うという、日常生活とは異なる条件下の活動であつて、その水中という状態は、呼吸運動の維持にとつて一定の困難をもたらすものであり、水を誤吸引或いは誤飲するという事態も生じるところである。したがつて、遊泳中に、原告の主張する、身体の一部のけいれん、あるいは、水の気管内吸引に基づく心臓抑制反射による意識喪失(とその後の呼吸運動再開による水の吸引)という機序、又は他の機序に基づき、遊泳者が溺れるという事態は十分に生じ得るところである。そして、一旦溺れた場合は、他人の救助がなければ、溺水死その他生命・身体に重大な影響を受けるおそれが相当高いものである。

もつとも、水泳を習得している大人の場合、子供や水泳未習得者と比べると、プールで遊泳中に溺れるという危険性はさほど高くはないけれども、危険防止策や救助方策を考慮する必要がないほど危険性が低くはないし、一旦溺れた場合に重大な結果を生じる危険性のあることはさほど変わりがない。

(2) スイミングクラブでは一般に監視員を置いて常時プールを監視しており、また、被告代表者自身も、本件プールの監視につき莵原に対して「何かあつたらすぐ知らせろ」と指示していたのであり、これらの事実関係に鑑み、また、証人莵原、同山谷が事故発生の可能性につき述べるところに照らしても、被告のようなスイミングクラブ経営者には、健常者の大人であつても、また、水泳を習得している者であつても、プールで遊泳中に溺れ、そのままでは生命、身体に対する重大な結果に至る事故が発生する現実的な危険性のあることについて十分予見可能であつたものというべきである。

(3) そして、その機序の詳細は別として、一般に遊泳中に溺れる危険性のあること自体は広く知られているところでもある。

(二)  原告の主張する、水の気管内吸引に基づく心臓抑制反射によつて意識喪失が生じるという機序が、本件事故当時通常のスイミングクラブ経営者に知られていたものと認めるに足りる証拠はないけれども、そのことでは、右の認定判断は左右されない。

(三)  また、被告代表者は、大人であるから本件のような深さのプールで溺れるということは予測されない旨供述するけれども、それは、単に、大人の場合には子供と異なり遊泳中に異常な行動をとることが少なく、また、自己防衛能力も備わつているため、溺れるという事態が生じる可能性が低いというに止まり、溺れる危険性及び溺れた場合重大な結果となる危険性があり、その予見可能性が存在するとの、(一)の認定判断を揺るがすものではない。

2  結果回避可能性

前記一及び二記載の各事実に、《証拠略》を総合すれば、次のとおり認定判断される。

(一)  水泳中に溺れた場合、直ちに死亡することは通常あり得ず、溺れていることを早期に発見・救助し、人工呼吸等の蘇生法を施せば、生命・身体に対する重大な結果は回避しうる可能性が高い。

特に、プールの場合、蘇生法を習得している監視員を置き、その監視員が常時プールを監視していれば、遊泳者が溺れるという事態が発生した場合でも、生命・身体に対する重大な結果を回避しうる時間内に発見し救助することが十分に可能である。

(二)  そして、プールにおいて、右のような監視体制を取つても多額の費用を要するというものでもない。

(三)  被告は、営利を目的として本件クラブを経営し会員から相当額の会費等を徴収しているのであるから、結果回避措置を取ることは十分可能であつた。

(四)  前記のとおり、本件においては、亡隆成の死亡原因は溺水死であり、溺れて直ちに蘇生不可能な状態に陥つたものと認めるべき事情は見当たらないから、被告が亡隆成を早期に発見・救助し、人工呼吸等の蘇生法を施しておれば、死亡に至ることを回避できた蓋然性は高かつたものというべきである。

3  被告の安全配慮義務

(一)  前記一及び二記載の各事実に、《証拠略》を総合すれば、次のとおり認定判断される。

(1) 本件契約は本件プールその他の施設の利用を主とするものである。

(2) 本件プールの利用は本件クラブの会員に限られている。被告は本件クラブの入会の資格条件や会員規約を設け、本件プール等の施設の管理は専ら被告において行つている。他方、会員は、会員規約等を遵守し、被告従業員の指示に従わなければならず、これらに違反すれば除名されることとなつている。したがつて、会員が本件プールを利用するに当たりその健康・安全を確保するには、被告の施設の管理・運営の適否に大きく依存することとなる。

(3) 被告は、営利を目的として相当額の入会金・年会費・月会費を徴収して本件クラブを運営し、クラブの目的として会員の健康維持増進を掲げている。したがつて、被告としては、その会費等に対応する給付を提供することが要求される立場にある。

(4) 本件プールは前記のとおりの規模のものでさほど大きくはなく、その利用時間も被告が決めることとなつていたのであるから、被告が安全管理を行うことは場所的・時間的にも十分可能であつた。

(二)  前記1、2及び右(一)で認定判断したところに照らせば、本件プールを管理している被告としては、本件契約上の義務として、右施設内において亡隆成ら会員の生命・身体を保護するための万全の配慮をして施設を利用させるべく、少なくとも、蘇生法を習得しているプール監視員を配置して、会員が本件プールを利用している時は常時本件プールを監視し、事故発生時に迅速に発見・救助できる体制を整えているべき義務を負つていたものというべきである。

(三)  《証拠略》によれば、本件クラブには、大人の会員が自由に利用する本件プールの他に水泳の初心者(幼児・学童を含む)に対する指導を目的とするスクールプールがあり、両プールの間は仕切りで区切つて、画然と分けて利用されており、子供がメンバープールに入ることは禁止されていたことが認められ、この点において、プールが一面しかなく大人も子供も混在して遊泳しているプールとは異なる面があるものと認められるけれども、前記1で認定判断したところに鑑みると、右の事実では、被告に(二)記載の安全配慮義務があつたことを覆すことはできない。

4  安全配慮義務の不履行

(一)  被告が本件プールに常時監視員を配置していなかつたことは当事者間に争いがない。

(二)  更に、《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告は、スクールプールが利用されていないときは、大体一時間に一回の割合で水質検査等を兼ねて見回り監視する程度の監視体制をとつていただけである。

(2) 本件事故当日、被告は、蘇生法について知識のない莵原一人に水質検査業務を兼ねてプールの監視を担当させ、かつ、同人に対し、監視及び救助につき、「五、六名以上泳いでいたら見ていろ、少なかつたら別によい」「何かあつたら知らせろ」といつた程度の指示を与え、それ以上の監視は指示しなかつた。

(三)  右(一)、(二)に記載した事実関係によれば、被告は前記3で認定判断した本件契約上の安全配慮義務の履行を怠つたことが明らかというべきである。

(四)  そして、前記2で認定判断したところからすれば、被告の右債務不履行と亡隆成の死亡の結果の発生との間には相当因果関係があるものというべきである。

四  損害

1  逸失利益

前記一及び二記載の各事実、《証拠略》によれば、亡隆成は本件事故当時二九才の健康な男子で、薬剤師として済生会富山病院に勤務し、平成三年の収入は年額金三三四万九〇九六円であつたことが認められ、かつ、亡隆成は本件事故により死亡することがなければ稼働可能年限である六七才までの三八年間稼働が可能であつたものと認めるのが相当である。

そして、亡隆成の収入に占める生活費割合は五割が相当と認められるから、右収入額、稼働可能期間及び生活費割合を基に、ライプニッツ方式(三八年のライプニッツ係数は一六・八六八)により中間利息を控除して、亡隆成の逸失利益額を、死亡当時の価額として算定すると、金二八二四万六〇〇〇円となる(ただし、一〇〇〇円未満の端数は四捨五入して調整する。)。

三三四万九〇九六×〇・五×一六・八六八=二八二四万六二七六

2  慰謝料

前記亡隆成の年齢、生活状況、本件事故の大要その他本件に顕れた諸般の事情を勘案すると、本件事故による死亡により亡隆成の受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、金一五〇〇万円をもつて相当と認められる。

3  葬儀費用

本件事故による死亡と相当因果関係ある損害として被告に賠償を求めうる葬儀費用は金一〇〇万円をもつて相当と認められる。

4  弁護士費用

本件事案の内容、審理の経過、認容額等に鑑みると、本件事故による死亡と相当因果関係ある損害として被告に対し賠償を求めうる弁護士費用は金二五〇万円をもつて相当と認められる。

5  以上1ないし4の合計は金四六七四万六〇〇〇円となる。

五  相続関係

《証拠略》によれば、請求原因5の事実が認められる。

六  免責条項の主張について

1  本件クラブの会員規約第二〇条に原告主張のとおりの本件免責条項があることは当事者間に争いがない。

2  そして、《証拠略》によれば、亡隆成が本件クラブに入会するに際しての入会申込書には「(本件クラブに入会するに当たりその)規約を承認の上……規約を遵守することを誓約します。」旨印刷記載された「誓約書」欄があり、亡隆成は右誓約書欄に署名捺印して、本件クラブに入会したこと、及び、右申込書と同一用紙の半面に会員規約が印刷され切り取り線で切り離すようになつており、亡隆成も、入会申込みをした際、会員規約部分を切り取り受領したことが認められる。

3  しかし、右1及び2の事実のみでは、亡隆成が本件免責条項の内容を認識・了解し、これに合意したものと認めるのは困難であり、他に、亡隆成が本件免責条項に合意したものと認めるに足りる証拠はない。

4  のみならず、仮に、亡隆成と被告間で本件免責条項の合意が成立したものと認めることができるとしても、先に認定判断した本件契約の内容、本件契約に基づく施設利用の実情等に照らすと、本件免責条項が、被告に本件契約上の債務不履行がありその結果会員の生命・身体に重大な侵害が生じた場合においても、被告が損害賠償責任を負わない旨の内容を有するものであるとすれば、右規約はその限りにおいて、公序良俗に反し、無効といわなければならない。

七  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、損害賠償金四六七四万六〇〇〇円及びこれに対する平成四年五月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺修明)

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